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このエッセイは、読売新聞欧州版リレーエッセイ「ヨーロッパの街から」(1998年10月16日)に掲載されたものです。

想像力と愛国心

​*本名にて発表

 バルテスの人気が落ちている、らしい。あの、ワールドカップで、フランスチームのゴールキーパーとして活躍した、つるっぱげの選手である。

 ブラジルとの決勝戦。フランスの優勝が決まった瞬間に涙を流していた時の姿を忘れられない。テレビのアナウンサーが、「信じられない! バルテスが泣いている!」と叫んでいた。その時、彼の風貌に由来する、非スポーツマン的なイメージの中に、アーティスト的な繊細さを発見し、感銘を受けた視聴者も多かったのではないか。

 何を隠そう、彼の男泣きの姿に、思わず目を潤ませてしまった、私である。

 さて、バルテスの人気の行方が気になる。

 話の発端は、マクドナルドのコマーシャルだ。仕事仲間でもあり、大のサッカーファンでもあるヤンヌに、「あのコマーシャル、面白いよね」と問いかけたことに始まる。

一見して、ハンバーガーのパンと判るその表面を、バルテスのつるっぱげの頭のイメージとリンクさせ、彼がそこにキスをする、というオチが、私にはおもしろおかしく思えたのだ。しかし、私の意見とヤンヌのそれとは違っていた。

 彼いわく、「ワールドカップ優勝国フンラスの代表選手が、なぜ、アメリカを代表する企業のコマーシャルに出なきゃならないんだ?」。

 実に心外だ、と言う。フランスの代表的スポーツ選手が、金欲しさでアメリカ企業に身を売った、ということらしい。事実、マクドナルドのコマーシャルに出演したバルテスに対する批判は、彼だけの見解ではないらしく、バルテスを使ったコマーシャルは、赤ん坊を使ったものに、早々に変えられてしまった。

 話は変わるが、フランスに来た当初、ラ・ロッシェルという大西洋岸の小さな港町で、語学研修を受けていたことがある。その時、小さな国際映画祭がその町で開催され、懐かしさから、オープニング記念に上映された『カサブランカ』を観に行った。

 ナチス占領下の町の、ハンフリー・ボガートが扮する主人公が経営するバーで、集まった客たちが「ラ・マルセイエーズ」を歌い出す場面になると、映画館のあちらこちらから、歌声が聞こえ始めた。ふと、周囲を見渡すと、賊軍を追い払った官軍のごとく、嬉々とした表情で多くの観客が「ラ・マルセイエーズ」を歌っているのだ。信じられない光景だった。渡仏して間もない当時の私は、フランス人という人種は、かくも祖国を誇りに思っているのか、という感慨を抱いたものだ。

 ところで、バルテスである。

 ちょっと間違えると、フランス人のナショナリズムの問題に発展しそうな話であるが、逆に言えば、「マクドナルドのコマーシャルに出演したバルテス」というコンテクストを、「フランス対アメリカ」というコンテクストに置き換えられるだけの想像力が私には、ない。良くも悪くも、異国の文化でありながら、西洋文化をかくまで信奉してきてしまった日本に生まれ、育った私には、ヤンヌのようなコンテクストの置き換えができない。第二次世界大戦で、賊軍として位置づけられた日本の歴史を、義務教育の中で受けてきてしまった私は、祖国の国歌を映画館の中で歌う勇気を持っていない。

 想像力と愛国心の欠如。

 戦後の日本は世界第二の経済大国に育ったけれど、経済力しか取り柄のない国になってしまったのだろうか。悲しいけれど、「負けるな、バルテス」と呟いてみたくなる。

 フランス人が、ちょっぴり羨ましい、今日このごろ。

​読売新聞欧州版(1998年10月16日)リレーエッセイ「ヨーロッパの街から」掲載

​©︎ BAP & Tadashi SEKI 1998
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