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このショートストーリーは、三井ホーム株式会社様発行の季刊誌「RFAM」vol.26 に掲載されたものです。

● クライアント;三和シャッター工業株式会社様  ● PR製品;電動ブラインドシャッター

​空を飛ぶ船 ◉ ばっぷ

 

「空を、船が飛んでいたんだ」

 その話をすると、みな、笑うばかりで信じてくれない。

 その船、翼とジェットエンジンが付いてなかったか? 船の絵が描かれた大きな凧だったんじゃないの? 長い南の島暮らしでついに頭をやられちまったか?

 三年に及んだ海外駐在所勤務を終えて帰国した私の無事を祝おうと、学生時代のダイビング仲間がセッティングしてくれた酒の席でもそんなふうにからかわれた。

 大学卒業後、総合商社に就職して丸十五年が経とうとしていた二〇〇三年一月。私は真冬の東京に妻と十歳になる娘の江梨香を残し、真夏のニューカレドニアへ単身で赴任した。

 当時、その島はロシア、カナダに次いで世界第三位のニッケル産出量を誇っていたから、会社にとっては鉱物資源の供給地として重要な拠点だった。

 とは言え、リゾート地であることにも変わりはない。だから、できれば親子三人でパラダイスライフを過したかったのだが、その島には日本人学校がなかった。多感になる時期を間近に控えた娘のことを考えれば、単身赴任するしかなかった。

 

「江梨香が紹介したい男の人がいると言っているんだけど、あなた、来週末はどう?」

 私は口元に運んでいた湯呑を落としそうになった。妻が淹れてくれたお茶が熱過ぎたわけじゃない。

「そ、その男と江梨香は結婚するのか?」

「そういう話じゃなければ、あの子が家に男の人を連れて来るわけがないでしょ」

​「だけど、江梨花はまだ二十三だろ。結婚するには早過ぎるんじゃないか?」

​ なんの予告もなしに突然突き付けられる現実ほど非情なものもない。

「学生時代からお付き合いしていたんですって。それに……私があなたと結婚したのは私が二十二のときよ」

 返す言葉が見つからなかった。

 着任した日、私に業務を引き継いでから帰国することになっている同僚が島の生活事情を教えてくれた。

「ここは地震もなければ台風も滅多に来ないんだ。治安も良いし水道水だって飲める。だから一番気を付けなくちゃならないのはココヤシかな。サメに襲われて命を落とす人より落ちてきたヤシの実に頭蓋骨を割られる人の方が多いくらいだからさ。まさに『天国に一番近い島』だね」

 だが、ブラックジョークの冴えた彼の言葉とは裏腹に、その二カ月後、五十年に一度と言われる超大型台風が島を直撃した。その名も「エリカ」。なんの因果か、その台風は娘と同じ名前だ。

 その男は背が高く筋肉質で胸板も厚く、ポロシャツから出た上腕二頭筋が太い。なんでも、学生時代にサーフィンの大会で優勝したことがあるらしい。

「これ、どうぞ召し上がってください」

 そう言って彼が差し出したのは二〇〇八年のサンテミリオン。しかも「シャトー・シュヴァル・ブラン」だ。日本語に訳せば「白馬の城」という名のビンテージ物。この若造、自分は白馬に乗った王子様とでも言いたいのか。だが、その極上ワインをふんと鼻先で笑って突き返すほど、私は大人気ないオヤジではない。

「お義父さんはワイン通だと聞いていたものですから」

 ふむふむ。案外、気の利く青年らしい。

「お義父さんはいままでどんな国へ行かれたんですか?」

 その質問を皮切りに、私は過去の武勇伝を語ってきかせた。サンテミリオンは口当たりが良く、私を饒舌にさせた。

「エリカ」はソロモン諸島とバヌアツの間を抜けてやって来た。会社が借りてくれた私の部屋は丘の上の、鉄筋コンクリート造りの七階建てマンションの七階にあって、窓には分厚い強化ガラスが使われていた。自動にも手動にも切り替えられるブラインド機能付きのシャッターも取り付けられていたから、折れた並木の枝やバケツくらいならば、飛んできたところで大した被害はないだろう……。と、そのときだ。突然、ドーン!と、大砲を打ったような音が鳴り響いて部屋中のものがカタカタと振動した。私のココロも折れそうなほどに、揺れた。恐る恐るブラインドの隙間から外の様子を窺ってみれば、眼下に見えるリゾートホテルの、ガラス張りのフロアにヤシの木が丸ごと突き刺さっている。なんてこった。さらに、空を見上げれば一艘の船が雲の間を飛んでいる。嘘だろ?と思ったら腰が抜けた。その船はまるで海と空を間違えて航行しているようだった。やがて世界最大級のラグーンの果てに消えていったが、あの船の行先がこの部屋だったら……と想像したら、そのまま意識を失った。

  

「ねえ、あなた。そろそろ家をリフォームしない? 建ててからもう二十年になるし、江梨香も来年には家を出ていくわけだから」

「そうだな、地球温暖化のせいか、年々台風が大型化しているからな」

 ふとあの南の島の光景が脳裏に蘇って声が震える。

「り、リフォームには賛成だが、ど、どうせなら雨戸じゃなくて、ぶ、ブラインド付きのシャッターにしよう」

 妻が、どうしたの?とばかりに私の顔を覗き込む。昨日も娘婿に話したことだが、空飛ぶ船の話は私の作り話なんかじゃない。本当のことなんだ。

​©︎ BAP 2016
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